食事で取り入れるのは栄養素よりも「生命力」

私達が口にする食べ物はもとの姿をたどれば一部のミネラルを除いては、ほとんどが動物や植物です。
もし私たちが食べ物として摂取しなければ、まだ成長をつづけ新たな生命を生む力さえ秘めていた生き物です。
私たちは普段当たり前のようにしている食事という行為は、見方を変えれば、その「生命力」を途中で
摘んでいるといえます。
また、食べるという行為によって食べ物から取り入れているのは、体に必要な栄養素と同時に食べ物の中に
秘められた「生命力」を頂いているといえるでしょう。
食事の意義が栄養面だけにあるのなら現代の技術をもってすれば、ある成分を食物の中から摘出し錠剤化
してそれを食べていけば、生きてはいけます。しかし、そうはなっていません。
食事という行為が単にそれだけ(栄養面だけの摂取)のものではないからでしょう。






「感動」や「感謝」をもって食べる

べ物から生命の根源である「気」を取り出すという考え方からすれば、食べるという行為は自分が生き残る
為に他の生命を犠牲にするという激しいサバイバルということができます。
「相手を食べなければ自分が死んでしまう」そんなことを考えながら食卓に向かう人は少ないと思います。
しかし、本来食事と言うのもはそういうものです。
野生動物なら空腹を感じた時に獲物を捕りに行かなければ、飢え死にしてしまいます。
食事をするのは、食べなければ自分が弱り死んでしまうからです。
しかし、逆に腹もすいていないのに無理に獲物を襲うことはないでしょう。
空腹でもないのに食事をすることは、野生の世界では基本的に必要もない行為です。
他の生き物の命をむやみやたらにうばう行為にもなります。
人間についていえば食べ物の成分だけを意識して食物を選んだり、考え事や心配ごとで頭をいっぱいにしながら、
無味乾燥に食物を口にしたり義務感から食事をとったりする行為はどうでしょうか?
ひとつひとつの食材に感謝をしながらとはいかないまでも、「いいかおりだなぁ」「なんておいしいんだろう」
など何でもいいから食べ物に対する感動を持つことが、他の命を頂くものの礼儀であるような気がします。
また作り手がその食材におくる気というものもあると思います。
そして、そうした感動や感謝をもって食べてこそ、食材のもつ「生命力」に作り手の「気」が融合し
食べたものの「生命力」につながっていくような気がします。


◆ 食事の持つ役割              ..